その後の二人の青年
その後の二人
青年の一人M君は過酷なリハビリにも耐え、粘り強く取り組んだ結果無事に退院し、大学受験に臨み2009年4月大学入学を果たした。車椅子での一人暮らしを始め、大学の選択授業の体育ではソフトボールをし、何とバッターボックスに立ち高打率をあげているそうだ。授業もとても楽しく大学生活を楽しみ、怪我をする前の自分に負けないくらい頑張って生活していることを知らせてくれた。
転院したK君はご家族の愛情に見守られ介助が必要ではあるが、流動食が可能となり手足が動く反応を見せているという。少なからず声のようなのが発声できるようにもなってきたようだ。医学と科学と音楽との力で何とか会話が出来るようになって欲しいと願っている。偶然だが、その病院にライアーを持っている先生がいて彼に聴かせてあげているようだ。今は、K君がいつか言葉が発せられご家族と会話が出来るようになることを願っている。
病院での活動を振り返って
イヤー・ゲームで培ってきた「心の解放」による自由な音創りが、重病の患者さんとの係わりの中で活かされたことはとても意義深いことである。彼らとの出会いはかけがえのない貴いものとなった。向かい合う人の波動が大きく作用し、音楽はその一翼を担っているだけであったのだが、一音に託す想いの深さがこれほどまでに肉体の隅々までに強い力を与えるのかを目の当たりにすることとなった。毎回が驚きの連続であった。医学の力だけでは動かせない大きな何かが動いていた。一番の大きな力は「愛」ということ。
イヤー・ゲームの音楽活動は退職後のライフワークになると学び始めた頃から確信していたが、病院でしかも生命の危機にある緊迫した状態の中で即興的音楽をすることになるとは予想もしなかった。私自身に「心の解放」が出来ていなかったらこの即興は出来なかったと思う。既成概念にとらわれていた私の指導方法がことごとくうち砕かれていった「イヤーゲーム」。ひたすら「音を聴く。傾聴する」行為からスタートしたこのいたってごく自然な音との戯れがこのような活かし方につながっていったのである。
次回はデイサービスでの活動報告を予定している。